ちょろおたのひとり言

ちょろいオタクが何かしらを言う場所

はこ、ハコ、筥、匣

こんにちは、みんとちょこです。




皆様は舞台観劇をされたことはありますか?
私はLDHのアーティストを好きになってから初めて観劇をしました。それが確か、2017年のことです。そこから年に数本、LDH関連のアーティストが出演する舞台を観に行っています。


つい先日橘ケンチ主演"魍魎の匣"という作品(とても有名ですね)を観劇してきましたのでその感想のようなものを少し…。




私は京極夏彦の作品を通らずに歩んできたものですから、名前は知っていても作品自体はよくよく存じ上げませんでした。原作を読んでから行こうか、とも思いましたが橘ケンチを観に行きたい、と思いチケットを取った舞台なのでとりあえず先入観なしで観劇したい、と思い前情報一切なく当日を迎えました。


幕が開いた瞬間から目まぐるしく変わっていく状況。次々に入れ替わって物語を紡ぐ登場人物。はじめのうちは「ケンチさんはいつ出番なのだろう」と薄ぼんやり考える余裕がありましたがそれも次第に奪われていきます。


ケンチさんの登場したシーン。ケンチさんのはずなのに、どうもケンチさんに見えない。彼は京極堂という人物としてその場に居ました。いつものように眉をハの字にして笑うことも、高めの声色で話すこともなく。キリッとしていて、凛としていて、それで気怠げで。不機嫌なようで上機嫌のような。怪しげで妖しげな雰囲気満載の人物がいました。




京極堂が舞台にあった枠に触れた瞬間、雨宮が何の躊躇もなくあの枠を超えた瞬間。ハッとしました。舞台そのものが匣であり、あの枠へ触れるか、踏むか、超えるか。それがヒトかその他のモノなのか、境界ってことなのではないか、と。


2時間10分。あっという間に経ってしまい、残ったのはじっとりと重たく、それでいて何故かストン、と腑に落ちてしまった恐ろしくも身近で遠い1つの物語の終わりでした。


私は原作を全く知らずにいきましたが、それもひとつの正解であったと思います。原作を全く知らなかったからこそ、どう演出するか、どのセリフが削られるかという心配事を全て無しにしてただただ物語を享受するだけであったからです。


雨宮の持つ箱がいつ開いてしまうのか、どきどきとしていましたが最後まで客席へは開けて見せてくれずにいて良かった、と密かに思います。




いつの日か、再演してくれればなあ、と思いつつ、この辺にしたいと思います。